新しい憲法をつくる沖縄県民の集い
東 裕(ひがしゆたか)先生
近大姫路大学教授
日時:平成25年5月3日(金・祝)
午後2時~
会場:「カルチャーリゾート・フェストーネ」
(沖縄県宜野湾市真志喜3-28-1)
主催:自主憲法制定沖縄県民会議
講演要旨
本日のテーマは、「現憲法で日本の平和は守れるか」だが、結論は「守れない」である。現憲法制定当時とは、条文と現実の乖離が広がり、明らかに耐用年数がすぎているからだ。96条と9条と前文は、真っ先に改正すべきである。96条は「各議院の3分の2で改正の発議」となっているが、実質参議院の81名に拒否権があることになり、これは国民主権の原理からして明らかにおかしい。又、3分の2緩和に反対する声があるが、諸外国は国民投票を経ずに3分の2でそのまま改憲されるのであって、安倍首相も国民投票条項に手をつけるとまでは言っていない。
9条については、集団的自衛権は国連加盟国には認められるのだから、解釈で補うより、9条も改正すべきだ。一切の戦争の放棄というが、現憲法ができてわずか3年で朝鮮戦争が勃発し、警察予備隊が発足した。その時点で憲法と現実との乖離がはじまっている。現在の自衛隊は解釈で国際協力業務も行っているが、いくら海外で国際貢献をしても、日本では違憲だなどと評価されるようではだめだ。これも憲法と現実との乖離によって起きる矛盾である。また、海外から見れば日本は攻撃されても一切反撃しないのだ、と読める条文であることが、今日の尖閣・竹島・北方領土問題を招いているといえる。解釈で出来るからいいじゃないかとの意見もあるが、国民が読んですぐに意味が分からないような憲法は、国民主権の憲法とは言えない。基本に立ち返り、自分の国は自分で守ると、憲法に定めておかなければ、今の憲法では日本の安全を守ることは出来ない。
前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との記述がある。これは、過去の日本人はそうではなかった、という誤った歴史観によるもので、これもまた改正すべきである。
現行憲法成立の経緯をみると、占領下ではあったが、上諭には大日本帝国憲法の改正手続を経て改正が裁可されたとの記述がある。押しつけられた憲法とはいえ、現憲法の果たしてきた、自由、平等、民主主義を定着させたという役割は正当に評価すべきである。憲法には継続性が必要だ。現憲法廃棄論は法的には現実性がない。無効となったら、現憲法のもとでつくられた法律は一体どうなってしまうのか。このような決議が国会でなされたとしたら、一種のクーデターとなってしまう。よって、破棄論・無効論は法的には現実性がない。占領憲法だから改めるというだけでは説得力が足りない。今の憲法が出来たときは、日本がこれほどの経済大国になることも、自衛隊の存在も想定は出来なかったし、アメリカがいつまでも日本を守るという保証もない。そうした現実の中で、憲法を変えて行かないと安全が危ない、という観点に立ち、改正論を主張すべきだ。第96条を変えるのはおかしいという意見もあるが、3分の2は発議の要件であって、その後に国民投票がある。外国の憲法には各議院の3分の2だけで改正が成立し、国民投票は不要とするものがある。それと混同させようとしたものと思われる。反対論者はいろいろ理屈をつけてくるが、それにしっかり反論して行く必要がある。