竹花光範先生を偲ぶ会 平成25年8月7日(水) 神田学士会館
昨年、故竹花先生の御奥様より、新居へ移られ、新仏壇に御老師様に読経いただくについて、高乗正臣「憲法学会理事長」と清原淳平「新しい憲法をつくる国民会議会長」がお招きを受けた際、相談の結果、故竹花先生の7回忌は平成26年2月12日であるけれども、大学の先生方はお忙しい時期なので、平成25年の夏休み時期に繰上げ御法要を行うことにいたしました。
故竹花光範先生は、長野県の御出身で昭和18年生まれ。長じて早稲田大学に学ばれ、昭和43年その政治経済学部を卒業。さらに大学院政治学研究科修士課程を修了されました。
のち、駒澤大学に迎えられ、助教授を経て教授、同法学部長、そして平成14年には、同大学副学長を務められ、また、お若い時から「憲法学会」に参加され、平成17年には「憲法学会」理事長に推戴され、憲法学会を主宰・指導された。論文・御著書多数。
他方、竹花先生は、現行憲法は占領下に作られ、一度も改正されないため時代に合わなくなっているとの御信念に立ち、清原淳平からの要請に応え、昭和54年秋以降、国会議員会館会議室で開かれている「自主憲法研究会」の専任講師として毎月、28ヵ年にわたり、改憲案づくりに貢献されました。竹花光範先生は、当団体が毎年5月3日(憲法記念日)に開催する憲法改正を啓発する国民大会にも毎年、改憲学者を代表して講演されました。この7回忌に正面に掲げられました御遺影は、平成19年5月3日、中曽根康弘元総理をお迎えしての第39回国民大会において、学者代表としてご講演された時の写真で、亡くなられる9ヵ月前の公式の御英姿であります。(清原淳平記)
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東森泰永老師の読経と奥様の献花
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東森泰永老師の読経と奥様の献花
この日、かつて駒澤大学で竹花先生と意見交換されたこともある東森老師の心を込めた御読経があり、その読経後半、まず、竹花先生の御奥様光子様が献花され、続いて、参列者全員がつぎつぎと、お花を捧げた。そのあと、東森老師から故竹花先生との思い出の法話があり、高乗正臣理事長、清原淳平会長の御追悼の辞、そして、参加者の中から、追悼の言葉が続いた。
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世話人挨拶
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高乗正臣・憲法学会理事長
(平成国際大学副学長兼同大学大学院法学研究科教授、 憲法学会理事長)
思い出しますと、先生が、お亡くなりになられて早5年が経ちましたが、なにか昨日のことのような気がしております。
竹花先生がその生涯をかけて取り組まれた大きなお仕事は3つあったかと思います。1つは駒澤大学の教授、副学長として活躍され、大学院の教授としても多くのお弟子さんを育てられたこと。2つは、わが憲法学会の発展について貢献なさったこと。3つは、新しい憲法をつくる国民会議の改憲運動に対して学問的な意味で指導に当たられ、28年間も専任講師として指導に当たられたことであります。
私どもは憲法学会でここにいらっしゃる小林昭三先生をはじめ多くの方々と一緒に勉強をしてまいりましたが、戦後の学界が非常に左傾化して、偏向した学説が横行しました。これに異を唱えたのが憲法学会でございます。多くの先輩方と共に、竹花先生は常に常務理事として憲法学会を支えてこられました。
先生がこれまで支えてこられた憲法学会は、後輩の私共が微力ではありますが、なんとか継続させておりますし、先生がお育てになったお弟子さんたちは各方面で活躍しております。どうか先生、安んじて、天上からお守りくださいますように、と述べまして世話人の言葉とさせていただきます。
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清原淳平・国民会議会長
「憲徳院光岳道秀義範居士」様。当「自主憲法制定国民会議」別名「新しい憲法をつくる国民会議」は、憲徳院様に、昭和54年から28年の長きにわたり、毎月の「自主憲法研究会」でご指導いただきましただけに、憲徳院様は、決して忘れることの出来ない御存在であります。竹花光範先生は、憲法学者として憲法の解釈学はもちろんですが、いまの憲法をどう改めるべきかという、いわば、「憲法改正学」についても、熱心に研究され、意見交換を重ねて、当「自主憲法」の改憲案づくりに協力くださり、全面改正案も3次にわたり纏めてくださいました。竹花先生こそは、日本における『憲法改正学』の第一人者でいらっしゃいます。
竹花先生のその誠意あるお人柄には、初代会長・岸信介元総理も高く評価されておられましたし、特に、第2代会長・木村睦男元参議院議長は、御自分の事務所に、竹花先生と清原、小林正理事、重田典子理事を招いて下さり、ライスカレー昼食を挟んで、熱心に意見交換した場景が、いまも、瞼に浮かんでまいります。
今の第二次安倍晋三内閣で、安倍総理は、その政策に「憲法改正」を掲げておられます。やっと時節到来の思いです。私どもは、竹花光範先生の多大なる学問的ご貢献を肝に銘じ、この改憲事業実現のため、一層努力することを竹花先生の御魂にお誓い申し上げ、御追悼の言葉といたします。
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挨拶
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東森泰永老師
私が、駒澤大学にいたときに、竹花先生が「法学研究」という講義を行っていらっしゃいまして、先生とお話しする機会がありました。「私は、いまの憲法に疑問をもっている」とお話をさせていただくと、これこれの本を読んでみなさい、といわれ、以来大変お世話になりました。先生といろいろとお話して、実は、古からの縁があったことが後に分かり、不思議な思いであります。
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小林昭三先生
(早稲田大学名誉教授、憲法学会元理事長)
竹花先生は、大学院で、私の恩師でもある大西邦敏先生の研究室に入られたのが御縁です。竹花先生は、早くから「憲法学会」で活躍しておられ、私は竹花先生に誘われて入会し、御厚誼いただきました。竹花先生は、年配者への気遣いと共に、研究生や学者方と暖かく接し、熱心に指導されておられました。その竹花先生に先立たれ、悲しく、残念の極みであります。
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小林正・国民会議理事
(元参議院議員・新緑風会政審会長)
月例会で先生が講演されていた当時、憲法改正運動は冬の時代でした。その中で、清原会長、竹花光範先生がこの事態を打開するための努力を続けて来られた。ことし7月の参議院選挙で、自民党が憲法改正を前面に出して戦いぬきました。竹花光範先生が道を切り開き、皆様がご遺志をついで運動をつづけてきた結果ではないかと思います。
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献杯の発声
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堀渉・国民会議理事長
(故岸信介元総理側近秘書30年)
月例研究会のとき、話の途中で気分が悪くなられたことがありましたが、私の務めであると、つづけられました。憲法改正に命を懸けているのだなぁ、と感じました。昨年秋自民党が大勝し、安倍首相となりました。2度とないチャンス。竹花先生の志を受け継ぎ、我々はこれからも努力をつづけていこうではありませんか。竹花先生の御魂に、献盃。
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思い出話
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名雪健二先生
(東洋大学教授、憲法学会常務理事)
学界などの研究会で、竹花先生のご講義の後、はじめに質問なさるのはここにいらっしゃる高乗先生でした。竹花先生は、質問が終わるまでじっくりお話をお聞きになり、それから懇切丁寧にお答えになっていた御姿はいまでもくっきり残っております。私は、いろいろ教えていただき、かわいがっていただきました。竹花先生、ほんとうにありがとうございました。
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清水明夫・国民会議監事
(税理士、元国税庁長官官房監督官)
竹花先生とは同郷なんです。長野県佐久市の岩村田。昭和天皇が崩御された時、相続税を納められましたが、これは憲法の規定からしておかしいと思いました。それで研究会に参加したのが、竹花先生との出会いでした。先生は早く亡くなりましたが、若い大学の先生方、どうか、竹花先生の代わりに、がんばってください。
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東裕先生
(近大姫路大学教授、憲法学会常務理事)
私は、先ほどお話をされた小林昭三先生の弟子ですので、竹花先生は大先輩に当たります。憲法学会には平成2年に入会させていただきました。その時の竹花先生は、近づきがたい雰囲気で、直接お話はなかったんです。しばらくして、竹花先生が学士会館でやっている研究会へお誘いくださいました。それから親しくさせていただきました。そのご縁で苫小牧駒澤大学の教授も勤めました。
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重田典子・国民会議理事・事務局長
(公益財団法人協和協会総務課長・時代を刷新する会理事)
竹花先生は、憲法解釈、解説だけでなく、憲法改正学を議員にも国民にも説き、具体的改正案を作成し、人生最後の最後まで激務をこなし、すばらしい人生を歩んだ方だ、と確信しております。また竹花先生を終生支えられた奥様、お嬢様には、心から敬意を表します。
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齊藤洋先生
(東洋大学教授、憲法学会理事)
竹花先生は、まず大層弟子思い。それから主義主張を曲げない、というところが印象的でした。ところがその反面、バランス感覚もあります。誰かが極端なことをいうと、うまくバランスをとられる。非常に保守的なのかと思うと、駒澤大学では新しい学部をつくったり、改革も次々に行いました。それらのところを私も見習いたいと思うのですが、とても足許にも及ばないですね。
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新保史生先生
(慶応大学教授、憲法学会常務理事)
竹花先生が私におっしゃった言葉で、座右の銘と考えているのが、「早く見つけて、長くつづける。これが一番大事だ」です。研究テーマ選択で迷っていた私にかけてくださった言葉なのですが、私はそのとき「プライバシーの権利」を選択しました。当時、まったく新しいテーマだったのですが、いまになって先生の教えどおり、長くつづける大切さを感じております。
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奥様から御礼の言葉
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竹花光子様
主人と同世代の先生方からたくさんお言葉をいただきました。そして主人のお弟子さん方が幹事役を務めてくださいまして、ありがとうございます。もう主人が亡くなって5年半も経ちますのに、こういう会を開いていただきまして、主人がどれだけ幸せかと思います。
主人は毎朝、電車が混む前にでかけたいといって、授業の有る無しにかかわらず、朝早く出かけました。誰もいない研究室で本を読んだり研究するのだと申しておりました。そして大好きなお酒を飲んで帰ってまいりますので11時過ぎ、12時過ぎになります。そしてすぐに寝てしまうような生活で、主人の中で家庭というものは順位がずいぶん下だったんだろうなぁと思います。しかし、外で、こんなに多くの人々と交わって、そして支えていただいて、仕事に生きたということは、男としてほんとうに幸せな人だったと感じております。主人が何でも自分でする人だったものですから、とにかく私は邪魔をしないようにすることだけを念じて生活しておりました。
亡くなる10年ほど前からロンドンが大好きになりまして、毎年1週間から10日ほど行っておりました。それもひとりで行きたいんですね。山歩きも大好きでしたが、それもひとりで行っておりました。体調が悪いにもかかわらず亡くなる前の年にもロンドンにでかけておりました。亡くなる2年前に癌を告知されたわけなんですけれども、「あと10年生きたかったなぁ」と言ったんです。しかし、今日は、主人の跡を継いでくださっている若い先生方のお話をうかがって、安心したような気がしております。そして主人が研究者、職業人としてほんとに幸せだったんだなぁと再認識いたしました。主人もあの世で心安らかでいる、という感じがいたしました。きょうはほんとうにありがとうございました。
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閉会の言葉
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関根二三夫先生〔偲ぶ会・世話人〕
(日本大学教授、憲法学会常務理事)
ご老師、奥様に御臨席をいただきまして、また憲法学会、自主憲の方々の御臨席をたまわりまして、竹花先生を偲ぶ会を滞りなく行うことができたことを厚く御礼いたします。我々は先生の遺志を継いで、ますます活動を発展させていかなければならないと思っております。
本日は誠にありがとうございます。
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事務局
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村松伸治先生
(日本文化大学教授・学務部長)
竹花光範先生の直弟子のお一人。御専門は憲法。日本国憲法、日本憲法史、比較憲法などの講座・ゼミの科目も担当されている。今回の「偲ぶ会」では、すべての段取りをされ、当日は、議事進行、発言者紹介をも務めて下さった。
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高乗智之先生
(高岡法科大学法学部准教授)
駒澤大学大学院で学び、竹花光範先生の御薫陶を受けた最後の直弟子。法学博士(駒澤大学)。平成24年、当団体の研究会において「教育と憲法」と題した講演をして下さった。この「偲ぶ会」では、村松伸治先生を助け裏方を務められた。
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