旭日大綬章受章・記念講話

山崎拓先生

講話日:平成24年11月29日(木)

山崎拓先生

元自民党副総裁・防衛庁長官・建設大臣・自民党政調会長、
同幹事長

講演要旨

 まず、清原淳平会長より、山崎拓先生の御略歴(下記)の紹介があり、その中で、1990年代に、次の総理候補はYKKと言われた。すなわち、山崎拓・加藤紘一・小泉純一郎の3先生である。当団体は憲法改正を目指すので、当国民会議で協議の結果、3者の内、憲法改正を唱える山崎拓先生に期待し、長野県民会議発会式などにも、御出席・講演をいただいたりした。
 そうした清原会長よりの祝辞、記念品贈呈のあと、記念御講話。 山崎拓先生の「旭日大綬章受章・記念講話」要旨──私が初当選した昭和47年の総選挙で、同期当選した中で残っているのは2人だけだ。政治には経験も必要だ。経験から生まれる決断もある。民主党政権は経験不足もあった。
 私は、政治家になってエネルギー問題と取り組んだ。母方の祖父は石炭鉱山主だったが、石油時代となり炭鉱が斜陽産業となり、その整理に携わったからだ。また、中曽根総理から「総理を志すなら、防衛・外交を研究せよ」と言われ、防衛政務次官、また防衛庁長官も務めた。
 いま集団的自衛権が問題になっているが、解釈で変えるのは却って危険だ。集団的自衛権の行使は、憲法を改正して法文上で行使できるようにすべきだ。尖閣諸島問題は、現状のように冷静に対処し中国軍と自衛隊が衝突するようなことは、極力避けるべきだ。中国軍の挑発に乗ってはいけない。それが、防衛庁長官を体験した私の意見である。

山崎拓先生の経歴 福岡県議を経て昭和47年に衆議院へ出馬して当選。以来12回の当選を果たされた。その間に、立法府においては、社会労働委員長、税制調査特別委員長。行政府においては、厚生政務次官、防衛政務次官、内閣官房副長官、そして防衛庁長官、建設大臣、党務においては、総務局長、広報委員長、副幹事長、政調副会長、国会対策委員長、政務調査会長(3期)、平成13年から2ケ年にわたり幹事長、次いで、副総裁も務められた。なお、山崎先生は平成10年、「近未来政治研究会」(山崎派)を結成されて、十数名の国会議員を率いてこられた。

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