「立憲主義」なる言葉の空虚性を論じる
講話日:平成28年10月27日(木) 清原淳平会長 |
講演要旨
近年、野党や護憲派が安全保障法制や集団的自衛権行使容認の反対論拠として、「立憲主義」という言葉を持ち出してきている。しかし、中世では国家運営の鉄則であったが、近代ではどの国も憲法を持つのが当たり前で、もはや空虚化した概念である。立憲主義は、権力者の権利濫用を抑えるものだ、という言説も中世的で時代錯誤である。また、集団的自衛権の解釈変更は、憲法第9条違反という。日本国憲法が作られた当時は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と理想主義を謳い、(1)陸海空軍の不保持、(2)武力行使の永久放棄、(3)交戦権の否認を入れた。しかし、その後すぐ冷戦が始まり、警察予備隊が出来、第9条の解釈も「自衛のための戦力は、違憲ではない」と変更されている。その後も解釈変更は何度も行われており、今回の解釈変更について批判されるのはおかしい。立憲主義という中世的定義を持ちだすのは妥当でない。
同じ第二次大戦の敗戦国ドイツは、独立後すぐ憲法改正したが、日本はそうしなかった。例えば、国連から紛争解決のために軍隊を出すことを求められても、第9条の前記3つの理由から参加できないとしてきた。これでは、他国から独立国として認識されないのではないか。当団体の念願は、国連に加盟した以上、ドイツのように占領下の非独立・植民地・属国憲法の体裁を改めて、独立主権国家に相応しい憲法に直す。そして、日本は他国に侵略することはしないが、他国からの侵略に対しては、断固戦うことを明記する。学者・識者は、理想に走り過ぎている。政治家は、理想を掲げつつ、現実を認識し執行しなければならない。