憲法改正案の作成、その改正案の啓発・普及・推進 (規約第5条2号、同3号、同4号)
1)憲法改正案づくりの始まりの経緯
この憲法改正案づくりの事業は、昭和54年以降~平成20年に至る30年間において、すでに、ほぼ終了している。その後は、時代の変化に伴い、その案文の補正・修正、新設を検討している。しかし、この30年にわたる努力は貴重な活動なので、それに参加した先人を偲び、後世に伝えるべく、以下に、その概略を記しておく。
当団体の中に「自主憲法研究会」(のち「新しい憲法をつくる研究会」とも併称する)を設置したのは、昭和54年秋である。その経緯を概略すると、昭和54年春、自主憲法期成議員同盟と自主憲法制定国民会議との会長であった岸信介元総理は、衆議院議員引退を発表されたことから、宿願の憲法改正運動を本格化することを決意。そこで、すでに前年に公益財団法人の執行を委嘱されていた清原淳平に、さらに、上記両団体の執行を委嘱された。岸信介会長の御意向では、議員同盟と国民会議の共催で、憲法改正への本格的案文づくりをしてほしい、とのことであったので、清原淳平は、憲法学者の参加・協力の必要性を痛感した。
そこで、清原淳平は、当時、名のある憲法学者に協力のお願いに出た。しかし、「自分は、現行憲法の解釈学の研究で、今の地位を築いた。著書も売れているので、いまさら、憲法改正学をやるつもりはない」と断られた。そこで、清原淳平は、当時、改憲派の学者の集まりとして知られた「憲法学会」へ協力のお願いに出た。すると、その幹部学者が快く「全面協力」を約して下さった。そこで、昭和54年秋から、議員会館の会議室で、毎月「自主憲法研究会」(のちに別称、新しい憲法をつくる研究会)を開催することになった。その当時の参加学者は、川西誠「憲法学会」理事長、相原良一常務理事、三瀦信吾理事、竹花光範事務局長など幹部が毎月の研究会へ参加して下さった。
特に、竹花光範事務局長は以降、亡くなるまで、毎月の研究会で、学問的指導の中心となった。竹花光範先生は、その後、駒沢大学の助教授~教授~法学部長~副学長となられ、そして、「憲法学会」でもトップの理事長を務められた。竹花光範教授は、平成20年2月12日、病のため逝去されたが、竹花光範先生こそは、学問的な面での改憲運動の最高の貢献者である。
また、この「自主憲法研究会」へは、自主憲法期成議員同盟からも有志が参加され、改憲案づくりへ協力された。ただ、岸信介会長は、東大法学部出身で、東大切っての秀才と謳われた方で、総理の時に「内閣憲法調査会」を作られ、その資料に目を通してこられた憲法問題の大家であったので、「自主憲法研究会」に参加されることはなかった。しかし、後述する当団体(自主憲法制定国民会議と自主憲法期成議員同盟共催)の毎年5月3日の「自主憲法制定国民大会」には、ほとんど出席され、会長として熱弁を奮われている。
この「自主憲法研究会」へ当時、議員側から熱心に参加されたお名前を挙げておくと、飯田忠雄参議院議員・衆議院議員、森清衆議院議員、森下元晴衆議院議員(厚生大臣)、片岡清一衆議院議員(郵政大臣)、八木一郎参議院議員(予算委員長)等々が特に熱心であり、岸信介会長逝去後の後継会長・木村睦男元参議院議長時代も、熱心な改憲案づくりが行われた。
なお、この毎月の「自主憲法研究会」へは、上記のほか、講師として、多くの有力議員の方が講演している。この改憲案づくりは、昭和55年の中ごろから本格化するが、一口に改憲案づくりといっても、部分改憲案と全面改憲案に分かれるので、両者を分けて、以下説明する。
特に、当団体の規約第5条の各項でも、部分改正案と全面改正案に分けているので、ここでも両者を分けて説明する。
「部分改正案」とは、現行憲法の各個別条文についてまず検討して、改正案をつくる。
「全面改正案」とは、その個別条文を比較・検討し、憲法全体として整合性がとれているかどうかまで検討・判断した上での憲法案である。
2)部分改正案づくり (清原淳平編著の各種「部分改正案」冊子一覧 参照)
昭和54年秋から始まった「自主憲法研究会」は、通常、第一部と第二部に分けて行われた。すなわち、前半は、国会議員の有志による国会内の自主憲法期成議員同盟の活動報告や自民党内の憲法調査会の活動情況報告、また、その議員の憲法改正への信念・熱意の披瀝であった。
そして、後半は、学者が議長をつとめ行われる憲法改正学の講義で、当初は、現行日本国憲法を、最初の前文から読みなおしながら、その条項の中にどういう問題があるかを捜す作業からはじめた。それは、前述のように、自主憲法期成議員同盟の有志議員と「憲法学会」の前掲学者と自主憲法制定国民会議の民間会員有志で行われたが、その中でも、若手ながら、特に勉強家・研究熱心であった学者の竹花光範先生が、自然、毎月、講師を務められた。
この研究会後半での憲法改正学は、約3ケ年の間の研究・検討で25ヵ条ほどの部分改正案ができたので、それを、『現憲法のどこを、どう改めるか──第一次憲法改正草案とその解説』(72頁)と題し、自主憲法制定国民会議と自主憲法期成議員同盟の両団体名にて、編集発行し、昭和58年5月3日開催の「第14回 自主憲法制定国民大会」において配付し、解説付で発表した。
それ以降も、この「自主憲法研究会」で改憲案をつくり、毎年のように、5月3日の「自主憲法制定国民大会」にて、発表している。PDFファイル化しているので、下記より御高覧いただきたい。
3)全面改正案づくり
平成10年から、これまでの部分改正案を基に、全体の整合性を考えた新憲法の全文づくり・いわゆる「全面改正案」づくりに入り、平成14年中にその作業を終わったので、それを印刷・製本して、平成15年5月3日の「第34回 自主憲法制定国民大会」にて、『日本国憲法 新憲法案』(第一次案)として、配付・発表・解説した。これが、当団体の全面改正案として、基本となっている改正案である。
また、翌平成16年5月3日の「第35回 自主憲法制定国民大会」では、前年の第一次案に少し補則した第二次全面改正案を、発表した。
そして、その平成16年から17年中に、さらに毎月の「自主憲法研究会」にて検討をしたものを、平成19年5月3日に「第3次全面改正案」として発表する段取りであったが、近く自由民主党が、改憲案を発表するとの情報が入ったので、それに対抗するように受け取られてもまずいと判断して、この時は、公式発表は取り止めた。しかし、この第3次全面改正案は、平成22年に、改めて製本して、発表してある。
なお、これらもPDFファイル化しているので、下記より御高覧いただきたい。