政教分離の在り方を考える!
講話日:平成26年1月28日(火) 高乗正臣先生 平成国際大学副学長・同大学院教授、憲法学会理事長 |
講演要旨
現行憲法第20条は、1項で信教の自由を保障し、2項では宗教上の祝典、行事等に参加することを強制されないことを規定している。問題となるのは、1項後段と3項で規定されている政教分離原則である。この規定は、個人の信教の自由を直接保障するものではなく、国家と宗教団体の分離を制度として保障することによって、間接的に信教の自由を保障しようとするものである。政教分離違反が直ちに個人の信教の自由の侵害となるものではなく、強制や禁止の要素が加わることで信教の自由の侵害が問題となる。信教の自由と政教分離原則の規定とは性格が異なるから、そこで問題となる宗教の概念も区別して考えなければならない。憲法20条3項が禁止する「宗教的活動」の範囲は、国民一般の宗教的意識と社会通念に照らして判断すべきだ。
政教分離のあり方は、国家や民族によって異なる。欧州では国教を定める国家や特定宗教に対し特恵を与えている国家が多く、分離主義をとる国はアメリカ・フランスなどむしろ例外である。そのアメリカでも、アーリントン墓地での戦没者慰霊や大統領就任式における神への祈祷、議会や軍隊における専属牧師の存在など、厳格な政教分離が行われているわけではない。わが国においては国民の間に伝統的に多重的・多層的な宗教意識が見られることから、習俗・社会的儀礼と宗教を区別するのは容易ではない。そこで、津地鎮祭事件最高裁判決以来、限定(相対的)分離の基準である「目的効果基準(行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が特定宗教に対する援助・助長・促進又は圧迫・干渉にならないこと)」が確立され、その後の大阪地蔵像事件や箕面忠魂碑事件、山口県自衛官合祀事件などでも目的が宗教的でなく世俗的・衆俗的であるとして合憲判決が示された。ところが、愛媛玉串料事件最高裁判決では、知事の靖国神社への玉串料公費支出行為は宗教的意義を持ち、同神社に対する援助・助長に当たるという理由で違憲判決が示されたが、この判決には疑問が残る。世界各国で行われている戦没者の慰霊は重要な国家的行事である。一般に、慰霊行為は広い意味での宗教的行為であると同時に社会的儀礼であるが戦没者の慰霊と言う公共的任務の達成が主たる目的であると解するべきであり、特定宗教の援助等にはつながらないとみるべきである。歴史的に、宗教に対して寛容な意識が見られる我が国では、各地の社寺で行われる春秋の祭礼行事は共同体形成の大切な要素として社会公共と密接不可分の関係にある。にもかかわらず憲法学界では、「憲法は国家と宗教の完全分離を要求する」との説が大勢を占め、前述のように多数の訴訟が提起された。
憲法が厳格分離(国家の非宗教性)を要求すると考えるのならば、刑法第188条1項の「神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者」の処罰や国税徴収法第75条の「仏像、位牌その他礼拝又は祭祀に直接供するため欠くことが出来ない物」の差し押さえ禁止など説明できない。宗教系私立学校への公費助成や東大寺金堂の修繕、全国戦没者慰霊祭、首相・閣僚の伊勢神宮参拝に至るまですべて違憲といわねばならない。また、東日本大震災時に収容された身元不明の遺体の慰霊行為を宗教者に一切させず問題となった事例もある。このように、国や自治体は全く問題にならない宗教的な意味を持つ社会儀礼への参加を回避する傾向がある。このような憲法解釈が、わが国の宗教的伝統文化に照らして果たして妥当と言えるであろうか。注目されるのは、アメリカで議会専属牧師制度の合憲性が争われた訴訟で連邦最高裁が「伝統だから合憲である」と判示したことである。この見解によれば、国立病院に末期癌患者のための仏式宗教施設を設けることはもとより、靖国神社への少額の玉串料奉納や首相の伊勢神宮、靖国神社参拝は合憲と解される。憲法改正に際しては、わが国の国民一般が伝統的に共有する寛容な宗教的意識を踏まえた規定を検討すべきだ、との解説で、その後の意見交換も盛んでした。