憲法改正手続(第96条)についての問題点と考え方

慶野義雄先生

講話日:平成26年2月12日(水)

慶野義雄先生

平成国際大学教授・憲法学会常務理事

講演要旨

 従来の憲法改正論議は第9条が中心だったが、昨年あたりから、憲法第96条の先行改正が議論されるようになってきた。しかしこの先行改正は両刃の剣である。改正された96条のみならず、国体変更(天皇制廃止)のための改正にも適用されることを忘れないでほしい。先行改正論を唱えている日本維新の会は、首相公選制や地域主権(道州制)を打ち出してきている。首相公選制は天皇制解体に直結するし、地域主権は国家主権の解体を目指すものである。日本世論調査会の調査(平成12年)によると、「国民の87%が首相公選制に賛成」となっており、その先に待っているのは、日本共和国である。これは国家の精神的基盤を揺るがすことである。
 日本国憲法第一条には、「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」とあり、これをもって国民主権といわれている。しかし、これは誤訳に基づくものである。そもそも「主権の存する日本国民」の部分の元の英文は「the people with whom resides sovereign power.」であり、主権は天皇にあるのか国民にあるのかという二者択一であるのなら「reside in」になるべきところを、共存、共有を表す「reside with」を使っている。つまり英語の原文では国民主権とは言っていないのである。わが国は伝統的に君民一体という観念があり、天皇と国民は一心同体なのであるから、主権が天皇にあるのか、国民にあるのかという議論はそもそも無意味なのである。明治憲法は天皇主権である、と言われるが、明治憲法には「天皇は主権者なり」などの文言はない。筧克彦は「天皇が主権者であるなどという失礼の観念は古来之なきこと」と述べている。当時のアメリカ人の方が我が国体を理解していたとさえ言える。日本と同じ立憲君主国であるイギリスにおいては「議会における国王」という概念が確立し、国王、議会、国民が一体化しているのであるから主権者が国王であるか国民であるかという問題は起こらない。  憲法改正限界説をとるかどうかは別にしても、憲法の条文には軽重の差がある。憲法の存在理由に関わる条文は、改正に当たって、より慎重に扱わなければならない。重要視すべきは、(1)国体、すなわち、国家の精神的基盤、基本的価値観に関する条文。(2)安全保障など国家そのものの存立に関わる条項。(3)国家の構成員の変更につながる条項(国籍法の改正に関しては特別の配慮と制限が加えられるべき)。(4)基本的人権の保障と権力分立。そして、(5)改正条項の改正、である。改正条項を操作することにより(1)~(4)の制限を無力化できるからである。
 第96条の先行改正は、手続き違反とまではいえないが、立憲主義であるともいえない。これは、脱法ハーブが違法ではないが、法の精神に反するのと同じである。  憲法第9条の改正論議がようやく熟してきたときに、手続き規定である第96条先行改正論を持ち出すのは得策ではない。まずは9条改正に向かって、一直線に進むべきである。あえて第96条の改正をいうなら、国民投票廃止こそ先ず議論すべきである。OECD参加34か国で、憲法改正に国民投票を要件としているのは、日本以外には、韓国など5ヵ国である。国際標準に従って改正要件を緩和するなら国民投票こそ廃止すべきである。世論の風向きが変わるたびに、政権が変わるたびに、毎年のように憲法改正のための国民投票が行われるなどという光景は想像したくもない。

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