米国弁護士からみた日本国憲法の正体

ケント・ギルバート先生

講話日:平成29年9月20日(水)

ケント・ギルバート先生

米国人、弁護士、80年から東京在住。執筆、テレビ出演。

講演要旨

 アメリカ人の私から見て、日本国憲法はどう映るか。服に例えていうなら、「既製品」で、一応使えることは使えるが、誇れる特性は何もなく、日本文化も入っていない。よく見ると、解れて糸が飛び出していたり、チャックが上がらないなど、いうなれば訳あり商品である。その訳ありの部分はどこなのか。まず第1章天皇の項、「天皇は日本国の象徴であり・・」もし仮に法科大学の教授が評価するなら、最初に書くべきなのは元首であり、元首の規定がない憲法はありえない。ただ、制定過程の事情をいうならば、極東委員会は天皇処刑論が大勢を占めており、それを抑えるためには、急いで憲法をつくらなければならなかった。この部分については、将来、憲法改正の発議過程で議論していかなければならない。
 次に、第9条2項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」芦田修正によって自衛隊を持つことができるような解釈は可能になったが、交戦権を認めないというのはおかしい。国際法上、国の交戦権は認められているものだ。また、軍隊がないのにどうやって国防を行うのか。外国人の目から見て、これは非常識だ。私は、憲法9条の規定が他の条文を台無しにしていると考える。例えば、前文の「安全と生存を保持しようと決意した」と考えても、9条があるから守れない。拉致被害者が帰ってこないのは、憲法で保障している生存権を9条が侵害している。そういう意味で、「9条は憲法違反だ」と言える。個別的自衛権と集団的自衛権を区別して論じているのも日本だけだ。日本の学者は、憲法の意味を説明するだけで、「自衛隊は憲法違反だ」としか言わない。自衛隊は必要だ。だから憲法を改正しようという方向にはいかない。
 沖縄で基地反対運動を行っている「住民」は、実は中国共産党に金で雇われている、という話をTVでしたら、すぐにCMになってしまった。そういう連中は道で私設検問所を勝手に作り、米兵の乗った車を勝手に止め、金属で車体を叩く、罵声を浴びせるなどしている。知事はそれに対して何も言わないし、沖縄県警が止めようとするとその警察官の家族構成に至るまでを道に張り出してしまうので、手出しができない。県外から機動隊を導入している。これについてアメリカ側はなぜ日本政府は対策を立てないのか、と憤っている。
 日本はルールを守る国だ。9条はかなり無理すれば自衛隊という戦力を持つことは可能と言えるが、やはり無理がある。では、ルールを守って自衛隊を廃止するか?それは無理だろう。だから現実に合わないルールを変えるのだ。諸外国の公正と信義に信頼するのはかなり危険だ。それはチベットやウイグルを見ればわかる。そのうち沖縄がそうなってしまわないとも限らない。9条があるから、アメリカに依存している。トランプ米大統領が日本に対して防衛費をもっと出せというのも、直接いうと内政干渉になるから、遠回しに自立した国になってくれというメッセージだ。最初に言ったように、日本は大国だ。自立した国になるのと同時に世界平和に貢献すべきだ、その第1歩が9条の改正である。真の平和を考えなくてもいい時代は終わった。日本人は目を覚ます時期に来た。憲法9条が改正されて初めて戦後が終わるといってもよい。
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